キャリアアップ助成金(正社員化コース)の不支給通知を受けたスタートアップには、ほぼ共通のパターンがある。申請要件を知らなかったのではなく、3%の賃金アップ要件の計算式を誤認したまま転換を実施して、支給申請後に気づく――これが実態だ。
結論から言うと、3%要件で詰まる原因は5パターンに絞られる。パターン1〜4は今すぐ対応可能だが、パターン5は令和8年10月1日以降の転換から影響が出る改正のため、秋以降に転換を予定しているスタートアップは今月中に確認してほしい。
3%賃金アップ要件の基本を押さえる
まず前提確認。キャリアアップ助成金(正社員化コース)の3%賃金アップ要件とは、転換前6か月分の賃金と転換後6か月分の賃金を比較し、3%以上増額されていることが申請条件となっている要件だ。
ここでいう「賃金」は、基本給と就業規則に明記された定額の手当を指す。変動的な賃金や実費補填的な手当は原則として算定基礎から除外される。この「算定基礎から除くもの」の把握ミスが、スタートアップで最も多発している。
パターン1:固定残業代を賃金総額に含めてしまう
スタートアップでよくあるのが、「月給30万円(固定残業代4万円含む)」という給与設計だ。この場合、3%計算の算定基礎は30万円ではなく26万円(固定残業代4万円を除いた基本給相当)で計算しなければならない。
固定残業代は時間外労働手当の性質を持つため、賃金比較の算定対象外となる。転換前後の固定残業代額が同じなら、基本給ベースで3%以上増額できているかを確認する必要がある。
さらに複雑なのは、転換時に固定残業代を減額したケースだ。この場合は「固定残業代を含めた比較」と「固定残業代を除いた比較」の両方で3%以上の増額が必要とされる。どちらか一方でも3%を下回れば申請不可となる。
チェックポイント:転換前後の給与明細を並べ、固定残業代を除いた基本給ベースで計算し直すこと。この一手間を申請前に怠ると、支給申請書提出後に不支給通知を受けることになる。
パターン2:就業規則に記載のない手当を算入する
スタートアップの就業規則で頻出するのが「慣行的に支払っているが規定がない手当」だ。毎月の実績で変動するプロジェクト手当、社長の裁量で支払われるボーナス的手当、支給基準が不明確な成果連動手当など。
こうした就業規則(または賃金規定)に支給要件・金額が明記されていない手当は、3%計算の算定基礎に含めることができない。手当を算入して「3%クリア」と計算していたが、実際の審査で算定不可として弾かれ、3%未達とみなされるパターンだ。
対策は「制度を先に整えてから」申請すること。就業規則の賃金テーブルと手当規定を整備し、その上で転換・申請のスケジュールを組む。申請してから就業規則を整えようとする逆順は、この制度では確実に詰まる。
パターン3:除外すべき手当の種類を把握していない
算定基礎から除外すべき手当の種類を把握できていないケースも多い。以下は算定基礎から除外される代表的な手当だ。
| 除外される手当 | 理由 |
|---|---|
| 通勤手当・燃料手当・住宅手当 | 実費補填のため |
| 時間外労働手当・休日手当・深夜手当 | 変動的賃金のため |
| 歩合給・精皆勤手当 | 変動的賃金のため |
| 賞与・一時金 | 臨時的賃金のため |
| 固定残業代(みなし残業代) | 時間外労働手当に相当するため |
特に注意したいのが住宅手当。一般的に「毎月定額で支払っているから算定に含めていい」と誤解されやすいが、住宅費用の実費補填的な性質を持つ場合は除外対象となる。就業規則の手当定義と実態をセットで確認することが必要だ。
パターン4:賃金支払日ベースの計算期間を間違える
3%要件の比較対象は「転換前後の各6か月分」だが、この6か月は転換日ではなく賃金支払日ベースでカウントする点に注意が必要だ。
具体的には、転換後に賃金支払いが発生した月から6か月間の賃金を合計し、転換前の6か月間の賃金と比較する。転換日が月の途中だった場合、最初の月の支払いは日割り計算になることが多く、この日割り分の扱いを誤るケースがある。
また「転換後6か月」というカウントを、転換日から6か月後の日付で誤認し、賃金支払いサイクル(月末締め翌月払い等)とのズレを把握できていないスタートアップも多い。支給申請の時期を計算する際は、賃金規定上の支払日ベースでカレンダーを引き直すことを必ず実施する。
パターン5:令和8年10月の「生涯設計手当」算定変更を知らない
これが最も見落とされやすい改正だ。令和8年10月1日以降の転換から、キャリアアップ助成金の3%要件の算定において、生涯設計手当(企業型確定拠出年金・確定給付年金の掛金に充当される手当)が賃金として算入できなくなる。
近年、スタートアップで選択制企業型DCを導入する企業が増えている。月給から一定額を「生涯設計手当」として支給し、従業員が自分でその全部または一部を企業型DC掛金として拠出する仕組みだ。この手当を正社員転換時の「賃金アップ」の一部として計算していると、令和8年10月以降は算定対象外となり、3%要件を達成できていないと判定されるリスクがある。
選択制DCを導入しているスタートアップは、秋以降の転換予定者について今すぐ再計算を実施してほしい。生涯設計手当を除いた賃金ベースで3%を確保できているか確認する必要がある。
支給申請前であれば、リカバリー可能なケースがある
朗報もある。支給申請書を提出する前であれば、労働条件通知書の修正や追加の賃金改定によってリカバリーできる場合がある。
ただし、6か月分の賃金支払い実績が必要なため、転換後すぐに3%不足に気づいたとしても、実際に支給申請が可能になるまでの間に手を打てるかが勝負だ。具体的なリカバリーの手順は以下のとおり。
- 転換後の賃金明細を取り出し、算定基礎から除外すべき手当を除いた「純粋な比較対象賃金」で計算し直す
- 3%未達が判明した場合、追加で基本給または対象手当を増額する労働条件変更を実施
- 変更後の賃金で6か月間の支払い実績を確保してから支給申請に進む
- 賃金変更の記録(覚書・変更後の労働条件通知書)を必ず保存する
ただし注意点がある。追加の賃金増額を行うと転換後の「起算点」がずれる可能性があり、申請タイミングが後倒しになる。また、キャリアアップ計画書の届出期日との関係も確認が必要だ。支給申請前に気づいた場合は、管轄の労働局に相談しながら進めることを推奨する。
申請前に必ず実施すべき「5点チェックリスト」
まとめとして、転換実施前・支給申請前に確認すべき5点を整理する。
- 固定残業代チェック:転換前後の給与から固定残業代を除いた基本給ベースで計算し直す
- 就業規則確認:算入予定の手当が就業規則・賃金規定に支給要件と金額が明記されているか確認
- 除外手当リスト照合:通勤手当・住宅手当・時間外手当等の除外対象手当をリストアップして除外
- 賃金支払日カレンダー作成:転換前後の賃金支払日ベースで6か月分のカレンダーを引き直す
- 生涯設計手当の有無確認(令和8年10月以降の転換):選択制DCに紐づく手当がある場合は除外して再計算
私が年間100件超の助成金を処理する中で感じるのは、3%要件の計算ミスは「知識不足」よりも「スタートアップのスピード文化による確認省略」から来るケースが圧倒的に多い、ということだ。採用確定から転換手続きまでSlackで1日で完結させるスタートアップでは、社労士への確認フローが入る余地がない。採用確定日のSlackに社労士チャンネルを必ず入れるだけで、計算ミスによる不支給の多くは防げる。
よくある質問(FAQ)
Q1. 固定残業代を廃止して正社員転換した場合、3%はどう計算しますか?
固定残業代を廃止した(減額した)ケースでは、①固定残業代を含めた賃金総額での比較、②固定残業代を除いた基本給ベースでの比較、の両方で3%以上の増額が必要です。片方だけ3%を超えていても不支給となります。廃止前提で転換する場合は、基本給を十分に積み上げた設計が必要です。
Q2. 賃金支払日ベースの6か月とは具体的にいつからいつまでですか?
転換前後それぞれの賃金支払いが最初に発生した日(支払日)を起点として、6回分の給与支払い月をカウントします。例えば、4月15日転換・月末締め翌月15日払いの場合、転換後初回賃金支払いは5月15日となり、5月〜10月の6か月分が比較対象です。転換日から6か月とは異なるため、給与支払いサイクルに応じて個別に確認が必要です。
Q3. 転換後に賃金が不足していると気づいた場合、追加で増額すれば申請できますか?
支給申請書提出前であれば、追加の賃金増額を行い、増額後の賃金で6か月分の支払い実績を作ることでリカバリーできる場合があります。ただし、申請可能時期が後倒しになります。また、増額の記録(変更後の労働条件通知書・覚書)を正確に保存し、管轄労働局への事前相談を必ず行ってください。
Q4. 令和8年10月以降、生涯設計手当はすべて算定除外になりますか?
令和8年10月1日以降の転換から、企業型確定拠出年金または確定給付年金の掛金として充当される生涯設計手当については、賃金算定の対象外となります。生涯設計手当でも「従業員が掛金に充当しない部分」については扱いが異なる可能性があるため、管轄の労働局・社労士に個別確認が必要です。
Q5. スタートアップで「全員転換後6か月で正社員化」という運用をしていますが、3%チェックのタイミングはいつですか?
転換実施前(雇用契約変更の前)に行うのが理想です。転換後は賃金支払い実績を作り直す時間的余裕がないため、有期雇用終了の1〜2か月前に転換後の給与設計を社労士と確認するフローを標準化することを強く推奨します。採用内定日または試用期間開始日にSlackで社労士チャンネルへ転換予定を共有するだけで、対応速度が大きく変わります。
参考文献・公式情報
- 厚生労働省「キャリアアップ助成金 正社員化コース 支給申請の手引き(令和8年度)」
- Work Innovation「【重要】令和8年4月・10月キャリアアップ助成金(正社員化コース)の算定ルール変更」
- やまがみ社会保険労務士事務所「キャリアアップ助成金 賃金3%以上増額の際に含めることのできない手当」
- 補助金ポータル「キャリアアップ助成金とは?令和8年度の全6コース・支給額・対象事業者を解説」






