「退職金を今すぐ払えば自社株評価が下がる、と言われたけれど、それで銀行の評価はどうなるの?」——この問いを持ったまま2026年秋を迎えた経営者に、急いで読んでほしい記事がある。

いま、事業承継の現場には二つの締め切りが同時に迫っている

  • 2027年12月31日:特例事業承継税制の贈与実行期限。この日までに贈与を完了しなければ100%・80%納税猶予は受けられない。
  • 2028年以降(見込み):国税庁有識者会議が議論中の類似業種比準方式の見直し。評価ルール変更後は、現行の引き下げ効果が縮小する可能性がある。

つまり「現行ルールで評価を下げ、特例税制で贈与を完了する」という組み合わせが使えるウィンドウは、実質あと1年少々しかない。

問題は、引き下げ策の多くがDSCR(借入返済余力比率)を毀損するリスクを持っていることだ。融資審査の目線で言うと、退職金を一括で払えば評価は下がるが、その期のPLが大きく落ち込みDSCRが1.0を割ることがある。銀行はそこを見ている。

本記事では年商3億円・製造業モデルを使い、①退職金、②業績平準化、③不動産組み換えの3つの引き下げ策をDSCRシミュレーション付きで比較し、2027年12月末の贈与実行に間に合わせるための3ステップを解説する。

なぜ2026年秋が「最後の窓」なのか

締め切り①:特例承継税制の贈与実行期限(2027年12月31日)

特例事業承継税制(法人版)で100%・80%の納税猶予を受けるには、2027年12月31日までに贈与を実行する必要がある。贈与契約の締結だけでなく、株式の移転登記・都道府県知事への報告・税務申告まで完了させなければならない。

実務上、株価評価→引き下げ策実行→評価額確定→贈与契約→登記→申告のフローには最低でも6〜12ヶ月かかる。2027年12月末から逆算すると、引き下げ策を遅くとも2026年末〜2027年初には着手しなければ間に合わない計算だ。

締め切り②:類似業種比準方式の評価ルール見直し(2028年以降見込み)

国税庁は2026年4月から有識者会議(第1回:4月15日、第5回:8月20日)を開催し、類似業種比準方式の3要素(配当・利益・簿価純資産)のウエイト見直しを議論している。現行は利益のウエイトが高く(0.6)、高収益企業の株価を押し下げる効果があるが、見直し後は利益ウエイトが低下し評価が上昇する可能性がある。

仮に2028年1月から新ルールが適用された場合、現行ルールで実施できる退職金支給による利益圧縮効果が大幅に縮小する。2026年秋〜冬が、現行ルールで評価引き下げを実行できる最後の機会と見ている。

二つの締め切りが作る「1年少々のウィンドウ」

時点必要なアクション
2026年秋〜冬引き下げ策の実行決定・DSCRシミュレーション
2026年末〜2027年初退職金支給・設備投資等の実行
2027年3〜6月評価額確定・贈与契約締結
2027年末登記・申告完了(期限:12月31日)
2028年以降新評価ルール適用(見込み)

3つの引き下げ策とDSCRへの影響:年商3億円モデルで検証

年商3億円・製造業・営業利益3,000万円・減価償却費500万円・年間元利返済額2,800万円のモデルで試算する。

ベースラインDSCR:(3,000万 + 500万)÷ 2,800万 = 1.25(銀行の目安1.2をクリア)

引き下げ策①:役員退職金(退職金支給)

現社長(または会長へ退く)に退職金を支給することで、その期の利益が圧縮され、類似業種比準方式の利益要素が下がる。

融資審査の目線で言うと、退職金は一時費用であり翌期以降は発生しないため、銀行は「実態PLを見る」——ただし、大きな一時費用が出た期の決算書を持って融資交渉に行くと「その期は赤字(または低利益)だから」と難色を示されることがある。

シナリオ退職金額当期営業利益DSCRリスク評価
一括支給5,000万円▲2,000万円(赤字)0.88高:融資更新リスク大
2期分散2,500万×2期500万円1.15中:1.2割れだが説明可能
3期分散1,700万×3期1,300万円1.21低:1.2クリア

融資課で10年間見てきた中で最も困ったのは、退職金を5,000万円一括で支給した後に来た経営者だ。「評価は下がったが、融資の更新審査で引っかかって設備投資ができなくなった」——これはDSCRシミュレーションを事前に行っていれば防げた事態だった。退職金は分散して実行することが鉄則だ。

引き下げ策②:業績平準化(利益調整)

前払費用の計上、棚卸資産の適正化、修繕費の前倒し計上などにより、評価基準日(12月31日または3月31日)に向けて利益を平準化する手法。退職金ほど劇的な効果はないが、DSCRへのダメージが最も小さい。

シナリオ利益圧縮額当期営業利益DSCRリスク評価
修繕前倒し+前払費用800万円2,200万円1.54低:DSCR余裕あり
棚卸適正化追加1,200万円1,800万円1.43低:問題なし

PLの構造を見ると、業績平準化だけで純資産価額方式を使う企業の評価を大幅に下げることは難しい。類似業種比準方式の利益ウエイトへの効果はあるが、純資産が厚い会社には限界がある。どちらの評価方式がメインになるかで手法の優先度が変わる。

引き下げ策③:不動産組み換え(含み損の活用)

帳簿価額より時価が低い不動産を売却・買い替えすることで含み損を実現し、純資産価額方式の評価額を下げる。また、自社保有の不動産を法人から外すことで純資産も下がる。

シナリオ純資産圧縮効果当期営業利益への影響DSCRリスク評価
含み損不動産一括売却▲3,000万円▲2,000万円(売却損)0.96高:当期損失が出る
低収益部分のみ売却▲1,500万円▲500万円1.18中:1.2ギリギリ
銀行事前合意取得後に実行▲1,500万円▲500万円1.18低:事前同意で融資更新保護

銀行はここを見ている——不動産売却損が出た期の決算書は「特別損失として処理され実態収益には影響しない」と説明できるが、売却前に銀行担当者に「この不動産を売却する予定」と伝えておくことが必須。事後報告では「なぜ相談しなかったのか」と不信感につながる。

DSCRを守りながら実行する3ステップ(2026年秋からの行動計画)

Step 1:5年PLシミュレーションで引き下げ策の「DSCR影響」を数値化する

評価引き下げ策を実行する前に、5年間のPL・DSCRシミュレーションを作成する。具体的には以下を試算する。

  • 退職金支給年度のDSCR(一括 vs 分散)
  • 引き下げ策実行後の評価額(類似業種比準方式・純資産価額方式)
  • 贈与後5年間の雇用要件(継続5年80%以上)充足可否

このシミュレーションは、銀行への説明資料にもなる。「なぜこのタイミングで退職金を出したか」「翌期以降のDSCRはどうなるか」——これを資料で示せる経営者と、口頭だけで説明する経営者では、銀行の反応が全く違う。

Step 2:DSCR 1.2以上を維持できる引き下げ策の組み合わせに絞り込む

シミュレーション結果を元に、DSCR 1.2以上を維持できる組み合わせを選ぶ。典型的な優先順位は以下の通りだ。

  1. 業績平準化(DSCRダメージ最小)→ まず実行
  2. 退職金3期分散(DSCR 1.21〜1.25を維持)→ 主力打法
  3. 不動産組み換え(低収益部分のみ・銀行事前合意)→ 純資産圧縮の補完

NGな組み合わせは、退職金一括+不動産売却損の同一年度実行だ。PLの構造を見ると、2つの一時費用が重なった期のDSCRは0.7を下回ることがある。

Step 3:2027年6月末を「贈与完了」の社内デッドラインに設定する

法律上の期限は2027年12月31日だが、社内実務デッドラインは2027年6月末に置くことを強くお勧めする。理由は三つ。

  • 12月期の確定決算書が必要な場合、決算確定から評価額計算・贈与実行まで3〜6ヶ月かかる
  • 都道府県知事への特例承継計画の認定(未取得の場合)に追加時間が必要な場合がある
  • 年末は税理士・司法書士が多忙で予約が取りにくい

5シナリオ×DSCR比較表

シナリオ 引き下げ効果 当期DSCR 銀行リスク 推奨度
①退職金一括(5,000万)0.88×
②退職金2期分散中〜大1.15
③退職金3期分散1.21
④業績平準化のみ小〜中1.43〜1.54最小◎(補完)
⑤③+④の組み合わせ中〜大1.21以上◎(推奨)

まとめ

2026年秋は、事業承継の文脈では「評価引き下げと贈与実行の両立ができる最後のウィンドウ」に入っている。特例承継税制の2027年12月31日の贈与期限と、国税庁有識者会議が議論する2028年以降の評価ルール見直しが、同時に迫っているからだ。

急いで退職金を一括で払うと、DSCRが0.88に落ちて銀行の融資更新が危うくなる。評価引き下げと融資力の維持は、トレードオフではなくシミュレーションで両立できる

「DSCRを守りながら評価を下げる」——この二つの要件を同時に満たす計画を、2026年秋の今、立てておくことが最優先だ。

よくある質問

Q1. 退職金を分散支給すると、類似業種比準方式の利益ウエイト削減効果が薄れますか?

A. 一定は薄れますが、3期にわたって利益を抑制することで、評価の基準となる「直前3年間の平均利益」全体を下げる効果があります。一括よりも時間はかかりますが、DSCRを守りながら3期分の評価基礎を圧縮できる点でトータルの費用対効果は高い場合が多いです。

Q2. 国税庁の有識者会議の見直しは確定しているのですか?

A. 2026年8月時点では議論中であり、正式な通達・省令改正はまだありません。ただし、第5回(8月20日)の議事要旨では利益ウエイトの引き下げ方向での議論が進んでいることが確認できます。適用時期・変更幅は現時点で未確定ですが、「変わる可能性がある前提で動く」ことを推奨します。

Q3. 特例事業承継税制の認定を受けていない場合、今から間に合いますか?

A. 特例承継計画の提出期限は2024年3月31日に終了しています。既に計画を提出済みの企業が2027年12月31日までに贈与を実行する制度です。まだ計画を提出していない場合は、一般事業承継税制(猶予率80%のみ)の活用や他の相続税対策を検討してください。

Q4. DSCR 1.2という基準はどこからきていますか?

A. 明文化された法的基準はありませんが、メガバンク・地銀の融資審査で広く使われる内部基準です。(営業利益+減価償却費)÷ 年間元利返済額が1.2以上あると「返済余力がある」と評価され、融資更新・追加融資がスムーズになります。1.0〜1.2は「許容範囲だが要説明」、1.0未満は「赤信号」とみる金融機関が多いです。

Q5. 引き下げ策を実行する前に銀行に相談すべきですか?

A. 退職金支給・不動産売却のように一時費用が出るものは、事前相談が必須です。銀行担当者に「この時期にこういう理由で退職金を出す、翌期以降のDSCRはこう回復する」と資料を持って説明しておくと、決算書提出時にスムーズです。業績平準化(前払費用・修繕費の前倒し)は説明不要なケースが多いですが、大規模修繕(1,000万円超)は事前に話しておいた方が無難です。

参考資料

  1. 国税庁「取引相場のない株式(出資)の評価明細書」(令和6年分)
  2. 中小企業庁「事業承継税制(特例措置)ガイドブック」(令和6年版)
  3. 国税庁「非上場株式の評価の在り方に関する検討会」議事要旨(第5回:2026年8月20日)