結論から言うと、このコースは「準備の順序」が9割
スタートアップが外国人エンジニアを採用するケースが急増している。特にシリーズA〜Bで開発チームを拡大するフェーズでは、ビザのスポンサーシップまで含めて採用設計をすることが当たり前になってきた。
そこで注目されるのが人材確保等支援助成金(外国人労働者就労環境整備助成コース)だ。就業規則の多言語化や雇用労務責任者の選任など、外国人労働者の就労環境を整備する取り組みに対して最大72万円(賃金要件を満たす場合)が支給される。
結論から言うと、この助成金はスタートアップにとって相性がいい。外国人を1人でも雇用していれば対象になるし、令和8年4月の改正で社会保険要件も廃止された。ただし、「準備の順序」を間違えると一発で不支給になる。私のクライアントでも、このコースで不支給になるケースの大半は「やることはやったのに順序が違った」というパターンだ。
この記事では、スタートアップが特に引っかかりやすい3つの落とし穴を整理する。
落とし穴1:雇用労務責任者を「CTOに兼任させて」形骸化
スタートアップでよくあるのが、雇用労務責任者を誰にするかを深く考えずにCTOや開発リーダーに兼任させるパターンだ。
このコースの必須メニューの1つが「雇用労務責任者の選任」。雇用労務責任者とは、外国人労働者の就労環境整備に関する管理業務を担当し、相談対応を行う者のことだ。
問題は「選任した」だけでは足りないことにある。就労環境整備計画期間中に、雇用労務責任者が実際に外国人労働者との面談や相談対応を行った記録が求められる。CTOが開発に忙殺されて面談記録ゼロ、というケースは不支給の典型パターンだ。
防止策
- 雇用労務責任者はバックオフィス担当者(人事・総務)から選任する。兼務でもいいが、面談・相談の時間を確保できる人にする
- 月1回の定例面談をカレンダーに入れ、面談記録をテンプレート化して残す
- 雇用労務責任者講習の受講を計画に組み込む(令和8年度から早期申請の要件にもなっている)
落とし穴2:外国人エンジニアが1人辞めただけで離職率要件アウト
このコースの支給要件に「外国人労働者の離職率が15%以下」という条件がある。大企業なら問題にならない数字だが、スタートアップでは致命的になりうる。
具体的には、離職率算定期間の初日における雇用保険一般被保険者である外国人労働者数が2人以上10人以下の場合、離職率算定期間における離職者数が1人以下でなければならない。
つまり、外国人エンジニアが5人いるスタートアップで、計画期間中に2人が転職したら即アウトだ。スタートアップのエンジニア離職率を考えると、これは決して低くないハードルになる。
以前、シリーズBのSaaS企業でキャリアアップ助成金の就業規則整備を3週間で仕上げたことがあるが、そのとき痛感したのは「助成金は副産物であって、制度を先に整えてから助成金を狙う」という順序の大切さだ。離職率要件も同じで、外国人労働者が辞めない環境をまず作ることが本筋であり、助成金はその結果として付いてくる。
防止策
- 申請前に外国人労働者の在籍状況と契約更新予定を確認する。計画期間中に契約満了で退職する予定の人がいないか
- 外国人労働者が3人以下の場合は、1人の離職もNGになる可能性が高い。採用を先行させて母数を増やしてから申請するのも手
- 離職率算定期間中の「解雇等」も含まれる。整理解雇や雇止めは計画策定前から注意が必要
落とし穴3:就業規則の多言語化を「機械翻訳のまま」提出
必須メニューの2つ目が「就業規則等の社内規程の多言語化」だ。外国人労働者が理解できる言語で就業規則を整備する必要がある。
スタートアップでよくあるのが、Google翻訳やDeepLで英訳した就業規則をそのまま提出するケースだ。機械翻訳自体がNGというわけではないが、問題は「外国人労働者が実際に内容を理解できる状態になっているか」が審査される点にある。
具体的には、以下の点が不備として指摘されやすい。
- 日本の労働法特有の概念(有給休暇の時季変更権、36協定、変形労働時間制など)が直訳のままで補足説明がない
- 翻訳対象が就業規則の本則のみで、賃金規程・育児介護休業規程などの附属規程が漏れている
- そもそも就業規則自体が雛形のままで、自社の実態と乖離している
制度を先に整えてから助成金を狙う、という発想がここでも効いてくる。就業規則が実態に合っていなければ、多言語化しても意味がない。まず日本語の就業規則を自社に合わせて整備し、そのうえで専門の翻訳者または社内のバイリンガル社員にレビューを依頼するのが正しい順序だ。
防止策
- 多言語化する前に、就業規則自体の最終更新日を確認する。3年以上更新していなければ先に改定が必要
- 翻訳は機械翻訳+ネイティブチェックの2段階にする。翻訳費用も助成対象経費に含められる
- 附属規程(賃金規程、育児介護休業規程)も翻訳対象に含める
令和8年度改正でスタートアップに追い風が2つ
令和8年4月の改正で、このコースはスタートアップにとって使いやすくなった。
追い風1:社会保険要件の廃止
これまで必要だった「社会保険の適用事業所であること」の要件と、社会保険料納入証明書・賃金台帳等の添付書類が全面廃止された。書類準備の負担が大きく減った。
追い風2:早期申請制度の新設
雇用労務責任者講習を受講し、かつ整備措置実施日前6ヶ月間に解雇等がない場合は、整備措置の実施日の翌日から2ヶ月以内に早期申請ができるようになった。通常は計画期間終了後に離職率算定期間を経てからの申請になるため、キャッシュフローが厳しいスタートアップにとってはありがたい変更だ。
ただし、早期申請を利用しても離職率要件の判定は後日行われるため、離職率要件を満たせなければ返還リスクがある点は注意が必要だ。
申請の全体スケジュール
朝のSlack確認後にクライアントMTGで最初に共有するのがこのスケジュール感だ。全体で最短でも10ヶ月〜1年はかかる。
- 現状確認(1ヶ月):外国人労働者の在籍状況、就業規則の整備状況、雇用労務責任者の候補選定
- 就労環境整備計画の作成・認定申請(1〜2ヶ月):必須メニュー2つ+選択メニュー1つ以上を含む計画を労働局に提出
- 計画期間中の措置実施(3ヶ月〜1年):就業規則の多言語化、雇用労務責任者の選任・面談実施、選択メニューの導入
- 離職率算定期間(計画期間終了後1年):この期間中の外国人労働者の離職率が15%以下であることが必要
- 支給申請:算定期間終了後2ヶ月以内に申請(早期申請制度を利用する場合は措置実施日の翌日から2ヶ月以内)
よくある質問(FAQ)
Q1. 外国人労働者が1人しかいませんが申請できますか?
申請できます。外国人労働者を雇用保険被保険者として1人以上雇用していれば対象です。ただし、1人しかいない場合、その1人が離職すると離職率要件を満たせなくなるリスクが高いため、在籍の安定性を確認したうえで申請判断をしてください。
Q2. 選択メニューはどれを選ぶのがスタートアップ向きですか?
「苦情・相談体制の整備」が最もハードルが低いです。社内に相談窓口を設置し、外国語対応できる担当者を配置するだけで要件を満たせます。「一時帰国のための休暇制度」は就業規則の改定が必要で、「社内マニュアル・標識類等の多言語化」は翻訳コストが追加でかかります。
Q3. 令和8年度の改正で支給額は変わりましたか?
支給額自体は変わっていません。賃金要件を満たさない場合は支給対象経費の1/2(上限57万円)、賃金要件を満たす場合は2/3(上限72万円)です。ただし、社会保険要件の廃止により添付書類が減り、申請のハードルは下がっています。
Q4. 技能実習生や特定技能の外国人も対象ですか?
雇用保険の一般被保険者である外国人労働者が対象です。技能実習生も雇用保険に加入していれば対象になります。ただし、離職率の算定対象にも含まれるため、実習期間満了による帰国が離職率に影響する点は要注意です。
Q5. キャリアアップ助成金と併用できますか?
併用可能です。人材確保等支援助成金は「就労環境の整備」、キャリアアップ助成金は「正社員転換や処遇改善」と目的が異なるため、同一の外国人労働者に対して両方の助成金を活用するケースは実務上も多いです。
まとめ
人材確保等支援助成金(外国人労働者就労環境整備助成コース)は、外国人エンジニアを採用するスタートアップにとって使いやすい制度だ。令和8年度の改正で社会保険要件が廃止され、早期申請制度も新設された。
ただし、雇用労務責任者の形骸化、少人数ゆえの離職率リスク、就業規則の多言語化の品質という3つの落とし穴は、スタートアップ特有の組織構造と直結している。助成金ありきではなく、まず外国人労働者が働きやすい環境を整備し、その結果として助成金を受け取る。この順序を間違えなければ、このコースは確実に活用できる。






